最高級の品質と味を認められている松阪牛の歴史

農耕牛から食用への変化

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松阪牛の歴史は日本で肉食文化が始まった黎明期までさかのぼります。

かつての日本は野菜や豆、魚を主に食しており、仏教による殺生思想なども根強く、家畜を殺して食べるという肉食の文化はありませんでした。

これが明治時代に入って文明開化が起こると、西欧の食文化も続々と入ってくるようになり、歴史の教科書にも登場する東京や横浜で流行った牛鍋の影響で牛肉の需要が急増しました。

松阪地方では江戸時代の頃から兵庫の但馬地方の牛を連れてきて、農耕用の力仕事をするために用いていました。
それが牛肉を食す文化の広まりにより、農耕には適さなくなった牛を食用として出荷し始めたのが松阪牛の歴史の始まりです。

松阪地方の牛を東京へ出荷したのがきっかけ

電車も車もない明治5年に、とある人物が松阪地方の牛を東京に出荷しようと、牛を引き連れて歩いて東京まで行ったことがキッカケで、松阪の牛の美味しさが全国に認められることとなります。

歴史上、牛追い道中を皮切りに、明治10年からは隔月ごとに20年間もこの行脚が続いたと言われています。

明治30年ころになって汽車が登場すると、貨物車に乗せて東京の高級料亭や鹿鳴館など西欧の人も集まる由緒ある場所へと出荷されていきました。

多くの賞を獲得した松阪牛

戦前の昭和10年には東京で全国肉用畜産博覧会が開催され、松阪牛は最高の栄誉である名誉賞を獲得しています。

戦後、昭和24年には松阪肉牛共進会が発足。
その後、年に一度、生産者同士がその質を競い合う松阪肉牛共進会がスタートしています。

過去の最高価格では平成15年の第53回で、5,000万円という高値で落札された実績があります。

一方、昭和33年には松阪地方の出荷業者と東京の食肉業者が松阪肉牛協会を創設しており、これによって東京への流通経路を確保するとともに、美味しいものが広がる拠点となる東京から日本全国へ、そして世界へと松阪牛の美味しさを広める礎が出来上がりました。

平成19年には「松阪牛」と「松阪肉」を地域団体商標に登録、同年には松阪牛連絡協議会も設立され松阪牛のブランドを守り、発展させる取り組みがスタートしています。